地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話16

船橋市を拠点にする考えを持ち始めてから、地元での交友関係を広げなければならないと思った。

ネットで情報を調べていると、地元の情報誌を発行する会社の社長がいろいろ地域活動していることを知った。

その会社が経営するカフェでクリエイターの交流会を行うと知り参加してみた。

参加者は10数名いた。そういう場所が苦手であるためあまりうまく交流できたとは言えないが、何人かの知り合いができた。

その時できた3~4名の友人が地元で出来た始めての友人である。

クリエイター交流会開催場所の「市場カフェ」

地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話15

今の時代、部屋探しは楽である。

インターネットで検索できるのだ。

時間をみてはインターネットの物件探し。

条件としては

・自宅からそう遠くない。

・都内に出るための路線の駅からそう遠くない場所。

・家賃が安い

・通りに面した店舗形式

移転したい気持ちが変わらないことを確かめるために、時間をかけて物件選びをした。

1年以上費やした。

地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話14

デメリットはどうだろう。

今まで仕事を出してくれていたクライアントが、移転を理由に仕事を出してくれなくなった場合だ。

それはそれで仕方がないか。

それ以上に新しい方向性を模索しないといけない。

そう思い事務所の船橋市移転を真剣に考え始めた。

新しく事務所を借りるなら、アート・ハンドメイドの世界が広がる空間を作りたい。

作品を一般の方に見て購入してもらうギャラリーショップを併設したい。

そこには自分の作品だけでなく他の作家の作品を飾りたい。

地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話13

個人で行うグラフィックデザインという仕事はパソコンとプリンターなど周辺機器が少々あればできるので、自宅でもできるのだがあえてそれはしてこなかった。

仕事の打ち合わせが頻繁にあった当初は、クライアントに呼ばれたらすぐ伺うということが重要だった。

呼び出されることが極端に少なくなって、都内に事務所を構える必要性が本当にあるのだろうかと思えてきた。

自宅に事務所を移すのは最終手段としても、自宅の近辺に事務所を移すと言う事はどうだろうかという考えが芽生え始める。

船橋市の賃貸料は都内より安いし、定期代も浮く、通勤に要する往復の3時間という時間が節約できる。

メリットはかなりありそうだ。

地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話12

イベント出店は年に数回、仕事は毎日ある。

作品づくり・ハンドメイドは楽しいが1銭にもならない。

本来の仕事は先行きが不安だ。

心の中にジレンマを抱える日が続く。

理想を言えば、好きな活動をしてその成果で十分な収入を得ることだ。アート・ハンドメイド作家の皆さんそうだと思います。

それが理想ではあるが現実はそうはいかない。

今の日本ではアートやハンドメイド作品に高いお金をかけて購入する風潮はあまりないのではないだろうか。

もちろんそれができている作家さんはいるが、ごくわずかだろう。

自分のレベルがまだそこまで足していないのはわかっているのだが、もう少し創作に対する全体的な評価が上がるべきだと思う。

地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話11

作品が増えてくると誰かに見せたくなる。

事務所の打ち合わせスペースに飾ったりしたが、そもそも来客が滅多に来ない。

そこで都内で開催されるアートイベントなどに参加することにした。

いろいろな人に見てもらうと刺激になり、購入してもらうと喜びもひとしおだ。

売り上げ的には成果がいまいちでも、出展することで、様々な人と触れ合うことができ、そのことが楽しくなっていった。

神楽坂アートフェスタ

地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話10

実際に分解してみて驚いた。子供の頃のそれとは違う部品たちの姿。

まるで鉄腕アトムなどに出てくる世界そのもの。(例えが古くてすみません。)

そのかっこいいフォルムがおりなす空間は未来都市を見ているようだった。

ちゃんとした製品のうちは決して日の目を見ることはなかった部品たち。

かっこいい形状の部品を主役にし、それらを組み合わせてオブジェや額装・アクセサリーなどの作品にしたりしていました。

徐々に作品づくり、ハンドメイドにはまっていった。

地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話9

ある日、廃棄もされず触られることもなく、仕事場の隅にひっそりと置かれていた壊れたスキャナーの機械に目が行った。

「これ、処分しないと」と思いつつ、気まぐれで分解してみようと思い立った。

細分化出来れば粗大ゴミではなく普通ゴミとして処理できるのではないかと考えたからだが、それ以上に分解することへの興味がむくむくと湧き上がってきた。

子供の頃、壊れた時計を分解し中から出てきたゼンマイや歯車を見て興奮しいてた。

壊れてもいない扇風機を分解し、元に戻せなくなった時もあった。

年を経てすっかり忘れていた分解への興味が、壊れたスキャナーを目にして蘇った。

地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話8

何か他の道も考えておかないといけない。

そう考えてもいた。

独立して孤独になったのと同時に、いいこともあった。

自由時間が増えること。

仕事の合間に空き時間ができるのだが、誰かの目を気にして仕事をしている振りをしなくていいのだ。

昼寝もできる。

空き時間ができると私は絵を描いたり工作をしたりして遊んだ。

子供の頃から図工が得意で何かを作ることが好きだった。

地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話7

仕事をとりまく状況も良くない方向に変わっていった。

バブル後の低迷期からやっと這いあがろうとしている矢先にリーマンショック。続いて東日本大震災、不況に拍車がかかる。

真っ先に仕事を切られるのは個人で仕事をしている私のような外注だ。

加えて私自身の高齢化。

クライアントの担当者も歳下であることが当たり前。歳上の外部の人間に仕事を出しづらいことは想像に難くない。

さらに出版不況、紙媒体離れは年々深刻化している。

業界全体の仕事量が減少しているのは明白だ。

仕事の受注量減少に歯止めがかからない。