「デザインフェスタVol.53」2021年5月29日・30日の2日間、東京ビッグサイト青海展示棟にて開催。「ボロパッチジャパン」として初出展いたします。竹細工作家の江口信男さんとの共同出展。 ブース:B-5
地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話5
千葉県の田舎町の実家を出て、就職を機に都内で一人暮らしを始めたのは21歳(1985年)のとき。
社員としてグラフィックデザイナーの仕事を続け36歳で結婚をし、40歳で独立、同時に船橋市に居を構えた。
馴染みのない方のために船橋市をご紹介すると、千葉県の東京湾に面した東京都に近い場所に位置するベッドタウン。とても住みやすい街である。
地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話4
結婚をしてほどなく、現在の住所である千葉県船橋市に移り住み、都内の事務所まで通っていた謂わゆる千葉都民だった。
子供のいない我々夫婦はご近所との付き合いもほとんどなく、地元である船橋市に友達は誰もいなかった。
そんな50代の男が、約2年ほどの間で友達が0人から30人になった。
地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話 3
仕事で個人の創作意欲を満たしてくれる仕事はほとんどなく、今の時代なら間違いなくブラック企業として問題になるほどひどい就労内容だつた。
その時代はみんな似たような境遇だった。
その後転職し3つの会社を経てきたが、いずれも零細企業で、少人数の職場だった関係上、仕事絡みの友人は一人もいない。
その後独立をして1人で仕事をするようになってから、さらに交友関係は狭まった。
ふなつく市の取材を受けました!
本間泰雄さんのネットメディア、SENSOR_ドキュメンタリーで「ふなつく市」の映像 をご紹介いただきました!
地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話 2
小学校高学年の頃から好きなことを職業にしたいと思っていた。
絵を描く職業「画家」を漠然と思い描いていた。しかし絵を描いて食べていくのは相当難しいこともなんとなく分かっていた。
選んだのはグラフィックデザインという職業。
高校を卒業してデザインの専門学校に入学した。
おざなりの学生生活を送り、やっとのことで卒業した人間に社会は甘くはなかった。
なんとか就職した先はデザイン業界の底辺にあたる場所だった。
地元に拠点を移しハンドメイドギャラリーを始めた話 1
千葉県での高校生時代のクラスメイトに、22歳のころ東京でバッタリ出会ったことがあった。
自ら「同じクラスだった〇〇だよ」と名乗り、しばらく話しをして別れたが、彼は最後まで僕のことを思い出せないようだった。
それくらい私は地味で目立たない男だった。いや、今でもそうである。
そんな私が今では30人以上の仲間がいる。
数年前まてはとても想像できないことだった。
「第1回ふなつく市」に出展しました。
2021年5月1日(土)・2日(日)の2日間、船橋市民ギャラリーにおいて「第1回ふなつく市」が開催されました。